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34年前に修行させて頂いたKIHACHI青山本店(旧セラン)にて開催されました「KIHACHI OB&OG 新年会」に参加させて頂きました

1月中旬に、私も34年前に大変お世話になったKIHACHI青山本店(旧セラン)にて開催されました「KIHACHI OB&OG 新年会」に参加させて頂きました。
KIHACHIファミリーのみなさんが100名様以上集まる華やかな雰囲気の中、感動的な熊谷喜八ムッシュや関宏初代シェフのスピーチを頂いたり、みなさんとの懐かし思い出話に花が咲き、たくさんの勇気とパワーを頂きました。
石川シェフをはじめ、現スタッフのみなさんの心のこもった御料理、スイーツも素晴らしく、本当に、KIHACHIにお世話になって良かったと思います。
熊谷喜八ムッシュ、関シェフ、KIHACHIファミリーのみなさん、これからも宜しくお願い致します。

昭和36年(1961年)生まれの私は、今年5月6日で60歳「還暦」を迎えました

昭和36年(1961年)生まれの私は、今年56日で60歳「還暦」を迎えました。
1度きりの還暦ですので、赤いコックコートを特注して記念撮影しようかとも思いましたが、多分1回しか着ないだろうと思い、赤いシャツに赤い帽子で、三脚を立て、ウチのスタジオの庭で、誕生日に、自撮りしてみました(笑)。
その後は、両親に感謝の気持ちを伝え、両親の好きな家庭料理を作らせてもらうために、この格好で、花束と食材を持って、同じ船橋市内にある実家に行ったのですが、母親の第一声は「どうしたの?赤いの着て」でした(笑)。
私が「還暦だからさ」って言いましたら、「還暦なんて信じられないね〜。まだ若いから」ですって。
両親の年齢を考えれば、還暦も当然なのですが、両親は、いつも、有難いですね(笑)。
これからも、呼んで頂ければ、全国にお伺いさせて頂きますので、宜しくお願い致します。

私の母校「船橋市立二宮小学校」の「120周年記念式典」に来賓として御招待して頂きました

11月22日、私の母校「船橋市立二宮小学校」の「120周年記念式典」に来賓として、御招待して頂きました。
卒業生の代表としましては、世界で活躍するピアニスト「関野直樹さん」と私のふたりだけで、恐縮してしまいましたが、「校歌斉唱」では、私も、45年振りに、在校生のみなさんと一緒に歌わせて頂き「3番まで、しっかり覚えている自分」に感動してしまいました(笑)。
子供の頃の記憶力って、スゴイですね〜。
「120周年記念誌」にも、寄稿させて頂き、光栄です。
「料理の道に進んだきっかけ」も、5年生の時に初めて受けた「家庭科の調理実習」で作った「目玉焼きを先生に褒めて頂いたこと」ですので、二宮小学校の卒業生で本当に良かったと思います。
これからも、食を通して、母校と愛後輩達に恩返しが出来るように頑張ります。

なかなか予約の取れない「グレートカブキさんの居酒屋」で「力道山先生敬子夫人の御誕生日会」楽しく盛り上がりました!

先日、日頃から御世話になっております「力道山先生の敬子夫人」「天草宝島観光協会会長のストロング永田さん」「熊本出身の将来有望な若手レスラー吉岡さん」と一緒に、この春オープンし、なかなか予約の取れない文京区小石川にある「グレートカブキさんの居酒屋」に行って来ました。
「敬子夫人の御誕生日」が6月6日でしたので、プロレスファンの他の御客様も巻き込んで、とても楽しい「サプライズ!バースディ―パーティー」をすることが出来ました。
御紹介させて頂く写真の数々から、みなさんにも、楽しく盛り上がった様子をお伝え出来たら嬉しいです(笑)。
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鹿児島県鹿屋市に「永遠のゼロ」との関係が深い「鹿屋航空基地」があります

先日お伺いした鹿児島県鹿屋市には、「永遠のゼロ」との関係が深い「鹿屋航空基地」があります。
その中にある「史料館」を訪れました。
これから戦地に向かう、若い特攻隊のみなさんの史料は、涙無くして見ることが出来ませんでした。
特に、ご両親、ご家族に宛てた「遺書」の数々は、本当に丁寧に書かれており、それらの文字からは、まったく心の乱れが、感じられずに「どれほどまでに志が高かったのだろう」と、感動致しました。
1枚の写真に、目が釘付けになりました。
それは、これから戦地に向かう若いおふたりが、満面の笑顔で「にぎりめし」を頬張っている写真でした。「食の力」「食の大切さ」その写真から、色々なことを思いました。
こうした先人のみなさんの「想い」を、しっかりと心に受け止め、これからも「食を通した世界平和の実現のために」微力ながら、精一杯頑張りますので、みなさん、宜しくお願い致します。

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2016年1月1日 みなさま明けましておめでとうございます

みなさん、あけましておめでとうございます。

私にとってのパワースポット「日本の富士山」、そして南半球は「イースター島のモアイ像」から、北半球は「モロッコのサハラ砂漠」から「縁起の良い御来光」をお届け致します。
昨年も、ブログをお読み下さり、応援して下さったみなさん、本当に有難う御座いました。
今年も「ヘルシーな食を通して」全国のみなさんのお役に立てるように頑張りますので、御声援を宜しく御願い致します。

「ブログ」は、ゆっくりとしたペースで更新させて頂いておりますが、「FaceBook・小暮剛」の方は、毎日更新しておりますので、こちらも御覧頂けたら有難いです。

2016年1月1日  小暮 剛

富士山御来光(3)

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年賀状用(サハラ砂漠)02

ナチス・ドイツの迫害から多くのユダヤ人を救った外交官「日本のシンドラー杉原千畝」さんの映画に感動致しました

2006年11月に、バルト3国のひとつ「リトアニア」第2の都市「カウナス」にあります「旧日本領事館・杉原千畝(ちうね)記念館」に行って来ました。
激動の第2次世界大戦下、外交官として赴任していた「リトアニア」で、ナチス・ドイツの迫害から逃れてきたユダヤ難民に、独断で「日本通過ヴィザ」を発給し、6000人もの命を救った、その場所に念願かなって行くことが出来たのですが、この狭い部屋の中で「杉原さんは、御家族や自らの危険を顧みずに、何を想い、決断されたのか」出来ることなら、その当時にタイムスリップして、お聞きしてみたいと思っていました。
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それから9年後の今年12月5日に、唐沢寿明さんが主演の映画「杉原千畝」が公開されました。
私は、ポーランドの「アウシュビッツ強制収容所跡」にも立ち寄っていますので「ユダヤ難民のみなさんの苦しみ」も、痛いほどよく分かり、「杉原さんが苦悩の末に、勇気を持って、ヴィザ発給を決断された、その瞬間のシーン」では、もう、溢れる涙が止まりませんでした。
この判断が、将来的な結果として「正しいのか、正しくないのか」は、あの激動の第2次大戦下では、おそらく杉原さん自身も分からなかったのではないかと思うのですが、「外交官として」と言うよりも「ひとりの人間、日本人として」「何の見返りも求めずに」「その時に出来る最善を尽くされたのだろう」と思うと、胸が熱くなりました。
私も「杉原さんのような愛と志を持って生きたい」と思います。本当に素晴らしい映画でした。

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明治座で開催された「綾小路きみまろ」さんの「スーパートークライブ」に 行って来ました

10月27日に、東京・明治座で開催された「綾小路きみまろ」さんの「スーパートークライブ」に行って来ました。
今年は、すでに観に行くのが「3回目」なのですが「あの一瞬にして観客を引き込む、話術のテクニック」を吸収させて頂こうと、今回も真剣に観てきました(笑)。
私も、全国で「食と健康のトークライブ」をさせて頂いていますので「綾小路きみまろ」さんの話術からは、学ぶことが多く、「私の偉大な師匠」だと尊敬しています。
「きみまろさんグッズ」も、一通り持っていますが、今回も「最新CD」を買わせて頂きました。
是非、みなさんも「パワーアップした私のトークライブ」を聴きにいらして下さいね。

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